思考は揺らめく道化師の羽

読んだ本と琴線に触れた音楽を綴る場所。かつて少年だった小鳥にサイネリアとネリネの花束を。

夏の囃子に曝され全てを失ったとて。

Behind The Scene

Behind The Scene

(暇なのと)手ごろな解釈サイトが無かったので、私が勝手に解釈した78-0について語ってみようと思う。

一言でいうと得体のしれないダークな異端児だ。

まず、テナー「らしくない」。

八月の祭囃子ということは何かのお祭り、あるいはフェスのことを意味するのか。

厚化粧の少年少女=見苦しい(厚ぼったい)少年少女?

操り人形に愛の口づけを=踊らされている者たちに憐みのキスを?

血の月曜=誰かが月曜日に殺された、もしくは狂った月曜日?どちらにしろ狂気。


一抹の淡い感傷=一瞬のセンチメンタル、儚いもの

夏の嵐も最後のダンスもまだ嘘を=夏が、まだ嘘をつき続けているのか?

走り過ぎる不在の心象=通り過ぎた(存在しない)イメージ、幻?

ナイフを手にした裸足の人魚=人魚は魚の尾を持つので裸足ではない。だとすればメタファーか。

殺意を抱いた女の子のことか。身を捨ててもということは自殺?


サビ 78 全部見える=78-0とは道路をイメージした名前(本人譚)

全て透けて見えるということか。

0に=0を足しても引いても0はゼロのまま。

+と-を求めあって=何かの暗喩。正と負、男と女、磁石の両極のようなものか。

ガラスみたいな透明になって=透ける、透明になる、ガラス細工のような美しいイメージ。

78すぐ消える=ここでの78は前者の78とは違うような気がする。

パッと現れ溶け合って消えるイメージか。


朱く染まる地平

眩く照らす恒星

=どちらも明るいもの、赤いもの。そして相反の関係にある。

朱くということから夕暮れか。夕暮れと星を掛け合わせているのか。


サビ(省略)

手に入れる=女性を手に入れる暗喩か。


なんとなく、個人的には性的なイメージとメランコリックなイメージが強い。

あくまでも個人的な解釈ですので、参考までに。

どちらにしてもこの曲、謎が多くて解釈に手間取る。

個人的ガチセトリ、再始動。

気が合う人を募集しております。


SAD AND BEAUTIFUL WORLD/ストレイテナー

迷走/GOOD ON THE REEL

TRABANT/スピッツ

yellow/mol-74

Answer the door/She Her Her Hers

嘘/秦基博

目が明く藍色/サカナクション

メテオ/Over The Dogs

解毒される樹海/the cabs

信者よ盲目であれ/back number

ロング・グッドバイ/9mm Parabellum Bullet

デカダントタウン/アルカラ

For a Dead Girl+/ゆよゆっぺ Feat. 巡音ルカ

紺碧の夜に/the HIATUS

奇跡/amazarashi

Tremolo + A/凛として時雨

溶けた夕暮れ、魂と祈りを乗せ

世界泥棒

世界泥棒


死ぬ直前にもし本が一冊読めるとしたら、私は迷わず桜井晴也の世界泥棒を手元に置くだろう。

固定観念を鮮やかに破壊している、今のところこの世で一番好きな小説だ。

スピッツのワタリを聴きながらページを捲る。

ポップコーンを食べながら、あるいは寝転がりながら、読みまくったせいか四隅が見事に擦り切れている。

幽霊たちと野人たちがはびこる中、子どもたちは銃を打ち合い、世界は夕暮れのまま固定されたまま動かない。

柊と主人公、あや、真山くんと意味ちゃんたちが語る話は「哲学」に近い。

百瀬という「決闘」の首謀者の真の目的は?

彼は淋しくて、せめてこの地球という惑星だけでも美しいままであってほしいと願っていたのでは?

そう解釈した。

現実から逃げ、自分を守るために平気で嘘をつくあやのほうが愚かではないのではないか。

国境を越えたところには名も知らぬ子供たちが埋められた墓場がある。

いやに無邪気に歌われるあのフレーズを思い出す。「戦争があるんだって!」

子どもたちは真っ先に犠牲者となる。そこに半端な恵みなどというお涙ちょうだいの話などない。

しかし、祈りはある。緑色をした猫の蛆の光と、それが成虫になった少年のまばゆい光だ。

妹が語る言葉に、私は嗚咽が止まらなかった。

この惑星のいきものはみんな壊れやすかったり、死にやすかったり、失われやすかったり、

そこなわれやすかったりして、

とにかく、とても繊細でとても傷つきやすくて、少しなにかをしただけですぐに精神を狂わせてしまったり、

肉体を失ってしまったりするんです。


私は彼の次の作品をぜひ読んでみたい。例え読みづらくとも。難解であろうとも。

一つの大きな叙事詩のようなこの物語が存在しなければ、とっくに死んでいただろう。

強烈なほどまでに退廃的で、残酷でいて愛に満ち溢れている。

私なんぞがこの物語の真の意味を語るには、100年早すぎる。(と言いつつ語っている。)


がっつり彼に影響されたのは言うまでもない。

「愛は祈りだ。僕は祈る。」

好き好き大好き超愛してる。 (講談社文庫)

好き好き大好き超愛してる。 (講談社文庫)


もう、本当に「良かった」としか言いようがなかった。

固い言葉では何とでも言えるんだけれど、

この本に出会えたことに凄く感謝したい。

誰かのために愛するということは、こんなにも愛しく、美しい。

ガラスのように繊細で壊れやすくて、でもとてつもなく愛しい。

石になった夜シミや、発光する寄生虫に蝕まれた知依子でさえ。

愛に決まった形なんてないということをとても分かりやすい言葉で教えてくれる。

きっと、私はやってはいけないこと(思ったことをズバズバいうこと)をしちゃったのだろう。

それをし続けてしまったんだと思う。特徴的な、非常識な言動や行動で人を傷つけた。

そんな私のような人が一人でも自分の行動を考え直してもらえれば、うれしい。

「愛は祈りだ。僕は祈る。」

一見狂愛じみた言葉だけれど、読み進めればそうじゃないって分かるはずだ。

どうか、僕が僕のままあり続けられますように。

kikUUiki(初回限定盤)

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どれほど聴いたのだろうか。

シーラカンスと僕

未だに、これを凌ぐ音楽を知らない。

真っ青なシーラカンスが、尾鰭を動かし水に溶ける。

夜の暗い街の中を一匹の深海魚が泳ぐ。

その世界はあまりにも幻想的で、それでいてどことなく物悲しかった。

アルクアラウンドよりも、アイデンティティよりも、表題作と呼ぶべき隠された金字塔。

曖昧な若さを丸め込んで、ゴミにする。

全てを投げ捨てて、一へ戻る。

今に至るまで邦楽を聴き続けているのは、この音楽を抜く音楽を知りたい、と思ったから。

もしかしたら抜くかもしれない、というアーティストもちらほらいるけれど、まだまだ、私はこの曲から逃れられそうにない。

いつになれば、この世界を超えて行けるのだろうか。

それか、もう抜け出しているのか。

真相は分からない。

正直、初期のサカナクションの方が、個人的には好きだ。

ネイティブダンサー、アドベンチャー、表参道26時、エンドレス、仮面の街。白波トップウォーター、ワードとサンプル。

どうか、僕が僕のままあり続けられますように

もう、前のような琴線に触れる音楽は出てこないのかな。

ちょっとさみしいな。

少年性を秘められた物語を探す。

少年性を秘めた作品は消費されにくい。

と同時に、危うい。

純粋であるがゆえに、いつ何かの衝撃に耐えかねて崩壊してしまうか分からないからだ。

例えば、それはスピッツ

初期のサカナクション

現在のストレイテナー

砂糖を甘く煮詰めたような音楽。

分かりにくいなら、「少年のような声で歌われた音楽」と言った方が良いか。

ただ少年性だけを追求したものではない。それはただの商業音楽だ。ハイトーンボイスだ。

大きな違いはそこに心を、感情が籠っているかどうかだ。


性別を超え、切なげなそれらは永遠に年を取らぬ物語であり、消費を知らない。

それらを歌い続けるものはその一瞬だけ声を切り取られ、硝子質の剥製として残る。

歌う彼らは歳を取るが、歌っている一瞬だけは歳を取らない。

本能に忠実なので、狂気も併せ持っている。

普遍的な事実は消費されにくく、また同時に半永久的に残り続ける。

俗にいう「エモい」=感情的、もしくは感傷的な音楽がそれに当てはまるのだろう。

感情と鬱は相反のようで、実は同じものの表と裏なのだ。


恋愛でいえば、純愛は意識的に好まれ、ドロドロとした不倫は潜在的に好まれる。

ちょうど、好奇心や怖いもの見たさで本のページを捲るのと似ている。

本能に勝てない、と言った方が良いだろうか。

彼らの物語は前者だ。意識的に不純を取り除いた前者。

または、前者と後者を組み合わせたもの、だろうか。

彼らは高確率で硬質の黒目がちの瞳を持っている。

本来なら遠いはずの「死」が近い者しか持たぬ世界。

普通の人が一生かかっても行けない場所。

それに彼らはいとも容易く辿り着いてしまうのだ。


辿り付いたものだけが「金字塔」を打ち立てることができる。

それが才能とも呪いとも揶揄される宿命だ。

批判も当然伴うだろう。

強靭な作品(男らしい、女らしい)作品と「性別を超えた(中性的な)」物語。

私はそれらを秘めた作品を集め続けている。

今も。そして、これからも。

果ててしまうまで、ずっと。

セトリ至上主義。

セトリ(セットリスト)の選曲と、アルバムの選曲にこだわるのが昔からの習慣だ。

なぜこだわるのか。

単純だが、自分が好きな曲を演奏してほしいからに他ならない。

だから今年、二、三のアーティストが最高傑作のアルバムを作っているので、羨ましくてならない。

今ライブに行くことができる人は凄く恵まれていると言っていい。

アルバムが良いということは、そこで引っさげて行われるライブの選曲が100%良いのである。

ということは、今この時期に最高の音楽を演奏してくれるということである。

ライブにいけないのなら、お金を貯めてライブDVDを買えばいい。

いくら時間がかかってもいい。一年ぐらいしてから買ってもいい。現に私がそうしている。

お金を貯めて、好きなアーティストにここぞとばかりにつぎ込む。こんな幸せなことはあるだろうか。

自分が一番好きなアルバムの、一番好きな選曲を手に入れることができれば本望だと思っている。

今年KEYTALKやオーラルに行ける人は運が良いと思う。テナーもしかり。

雨のパレードもIvyも神がかっている。

反対にセトリがアレだったらいくら好きなアーティストでも行かないということもある。

それは誰かは言わない。言ったらその瞬間、ファンの方に迷惑をかけそうだから。

一回セトリにこだわって音楽を聴くのも良いかもしれない。

納得がいかないのなら、自分で選曲をして一人DJを楽しむのもありだと思う。淋しい?そんなことはない。むしろ楽しい。