人間不信という罪は悪ですか?
夏目漱石のこころ。
学生時代にこの本を中途半端にしたままどこかへなくしてしまって、大人になった今もう一度購入した。
かつての私はなぜこの名作を蔑ろにしていたのだろう。
それまで精神面が成長していなかったからだろうか。
中学生のころに、少しだけ内容を触ったことがあるという位しか覚えていないが、
Kが言った「向上心が無いものはばかだ」をもう一度先生が言い返すというシーンがずっと記憶に残っている。
その当時はKにお嬢さんを取られたくない一心で発した言葉かと思っていたが、最近になって読み返すとどうやら違っていたらしい。
先生は病気で親を亡くし、信頼していた叔父に金の件で裏切られたという自らの不幸な生い立ちを恨み、
そのうえ、Kに自らの醜い過去をひた隠しているという事実を知られていることを負い目だと思い、
誤魔化しと皮肉を込めて言ったのだ。
それは先生の苦肉の策だっただろう。
先生ではない私(先生と私の主人公)の病が篤い父に対しても、
「病人は必ず死ぬのです」と言ったのも、先生自らの経験からだろう。
事実を知られたくないがために他人を欺いてまで自分を守り通し、それでいて意味深な言葉をちらつかせる先生。
彼を救う方法はなかったのだろうか。
彼は逃げ続けたから、自分の罪をKに擦り付けたから、自分の人生を破滅させることになったのだ。
しかし、人に欺かれた人間が人を欺くとはなんという皮肉だろう。
不幸を背負った人間が新しい考えに行きつくことは難しい。
分かっているはずだが何とかならないものかと考えている。
自分に嘘を付き続けることほど辛いものはない。
それは果てのない責め苦である。
一回疑心暗鬼になってしまった者ならその苦しみが解るだろう。
悪人は善人の中にこそ存在し、それは一見だけでは分からないものだ。
先生は責め苦の果てに死ぬことを決意したのだろう。
それが間違っていると伝えることができる人はもういない。
しかし誰も責めることはできない。
不幸の苦しみはロシアンルーレットのようなもので、いつだれが当たるか分からないのだから。
欲を言うなら私(先生ではない方)が先生に何とかして言葉を伝えればよかったのか。
結論は誰にもわからない。
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