思考は揺らめく道化師の羽

読んだ本と琴線に触れた音楽を綴る場所。かつて少年だった小鳥にサイネリアとネリネの花束を。

『絶望とは未来にあるのではなく、その人間の過去の集積として、彼の行く手に置かれたものである。』

白石一文は「記憶」と深く結びついている。
このテーマは神林長平(所詮言語SFと呼ばれるものだ)や山田宗樹も取り上げていて、
彼らは共に「生命の記憶」、生まれてから死ぬまでに魂に染み付いた記憶について述べている。
人は一人ひとりそれぞれ唯一無二の自然に生まれた「物語」を生きていて、毎日少しずつ世界を作り出している。
(このあたりは村上春樹が詳しい。彼は物語の担い手であり、類まれな才能の保持者だ)
記憶は各々の物語だと鮫島みずきは語る。魂が消えてもその精神は才能や遺伝として、子や孫たちに受け継がれてゆく。
私たちの記憶そのものこそ、私たちが生きていく意味であることに他ならないのだ。
肉体とはそのために存在する入れ物に過ぎず、私たちの思考や精神は受け継がれてゆく限り、不滅だ。
記憶の渚にて 【電子限定オリジナル特典付き】 (角川書店単行本)


「絶望とは未来にあるのではなく、その人間の過去の集積として、彼の行く手に置かれたものである。
目の前に壁のようにうずたかく積み上げられた過去に我々は怖気づき、そして恐怖・絶望する。
しかしそれは、実際はすでに終わってしまったものであり、未来は、窓のむこうの晴れ渡る空のようにどこまでも遠く広がり、
前方には何ひとつわれわれを邪魔立てするものとてないのだ。われわれは過去に、さらにはその過去の生み出した幻影に怯えて、
あらゆる人間にとって不確実ーつまりは無限の可能性を孕んだものーーとしての未来からつい目を逸らしてしまう。
それが絶望の真の正体に他ならない。」
ー手塚仁の遺したメモ(エピグラフ)より

ここで言われているのは、「人間の思い込み」こそが絶望という化け物を生み出してしまう、ということだろう。
小さい子供が絶望しないように、(よほどのことがない限り)「過去」が蓄積する程、人は絶望しやすくなる。
理想と現実のギャップがあるからだ。

しかし、本当はそんな絶望(過去が積み重なったもの)なんてまやかしに過ぎないのだ。

本当の未来は澄み切った空のようにどこまでも遠く広がっているというのが彼(手塚仁、作者)の伝えたかった感情だろう。
彼は膨大な記憶を操る「記憶者」であり、「小説家」でもあるのだから。