舞台装置の中の白い小鳥は、無限複製されて闇を飛び立つ。
- 作者:西 加奈子
- 発売日: 2013/06/26
- メディア: 文庫
西加奈子さんの白いしるしを読み終わりました。再読です。
キネマの神様と一緒に、うつくしい人を購入したいと思っているのですが、
某ウィルスのせいで、書店に行くのが怖いです。
林民夫氏の糸の文庫と村山早紀先生の新刊を買うつもりです。
翼をください(上下巻)、高くて買えそうにない墓頭も欲しいです。
ザリガニの鳴くところも、買いに行けたらいいですね。
あと線僕とアーモンドも。
本屋大賞、決まりましたね。
候補作は未読なので、機会を見計らって読みます。
※ピープルのミネルヴァ、聖性と倒錯が含まれているように見えて仕方ありません。
谷崎潤一郎と小川洋子氏の小説を一緒に読んでいるようです。
薬指の標本と痴人の愛かな?
Tabula Rasaは「絶望」を切り取ったアルバムだと波多野さんが言っていました。
People In The Box『Tabula Rasa』というアルバムには、「いきている」という曲が収録されています。お聴きいただければわかるかもしれませんが、いくつかの視点が共存しているあの作品のなかでも、少し異質な立ち位置にある歌詞の曲です。
僕は『Tabula Rasa』という作品でこの社会への絶望を描こうとおもっていました。そしてそのためには非対称性のなかで消えていく声をすくいあげるために、また個別的な苦しみと後期資本主義社会の引き起こす病理をひとつに繋げる回路を作るために「いきている」という曲が必要でした。そこで描かれる個別的な苦しみというのは間違いなく僕自身の実感でもあります。
あのアルバムに「虚無の舞台装置」というタイトルを付けた私は、あながち間違っていなかったのですね。
「装置」と「風景を一瞬で変える方法」「忘れる音楽」には取り憑かれるような怖さがあります。
装置の出だしは、心臓に悪いです。全体的に漂っているのは、鬱屈した美、退廃的な美です。
例:「僕を抱き締め、潰して再度」
「肉体を溶かしてしまうまで」
絶望しているのに真っ白で、どことなく陶器や、石膏の白さを思い起こさせます。これらの音楽に込められた美の結晶が、トラックNo.5に収録されたミネルヴァです。
「いきている」は、前作の最後に収録されていた「ぼくは正気」に通じているのではないのでしょうか。私の憶測ですが。
退廃的な美というテーマで言えば、RADWIMPSの「愛にできることはまだあるかい」ALEXANDROSのPray、サカナクションのユリイカも拮抗する楽曲であるような気がします。