思考は揺らめく道化師の羽

読んだ本と琴線に触れた音楽を綴る場所。かつて少年だった小鳥にサイネリアとネリネの花束を。

ある一日

人がやって来た。
私は吉田修一辻村深月の本を渡した。

また、次の日には別の人がやって来た。
私は石田衣良桐野夏生の本を渡した。

また、次の日来た人には西加奈子山田詠美を。

次の人には司馬遼太郎山本一力を。

次の日、私は違う人にラブクラフトを渡した。

次の日、私は別の人に夢野久作を渡した。

私は森博嗣森見登美彦を渡した。

最後に、私は宮本輝小川洋子を渡したのだった。

水の中で生まれる輪廻。

流跡 (新潮文庫)

流跡 (新潮文庫)

私たちは生まれた瞬間の記憶を知らない。
中には記憶を授かっている人もいるようだが、そういう人は稀だ。

男はどうやら物語の記憶を持ちながらこの世界を漂っているらしい。

主人公は水に飲まれながら川を船で渡り、ゆらゆら、くにゃくにゃと流れる。 下っていくうちに様々なものに出くわす。

粘っこいものや、さらさらとしたもの、ぷくぷくとした白い木の実。かと思えば黒光りするうなぎや、大量のキノコに囲まれ 、体を絡め取られたりする。


粘っこい白い雨の中で 大量の 巨大金魚が瘤のできた大きな頭をゆすりながら、えごえご踊る。
はれ、ひやらひやらという掛け声にあわせて。
それは突然降って沸いた祝祭のようだ。

生きるということ自体が 川のように流れて行くことかもしれない。
初めから終わりまで一貫せず、次々と輪廻に巻き込まれて行くことだと思うのだ。
運命にあらかじめ定められた道などないのだ。

私も川の流れのように 永遠にこの世界を巡っているような気持ちになった。

人生をライカと歩んだ男

LEICA,My Life (ライカ、マイライフ)

LEICA,My Life (ライカ、マイライフ)

人生をライカと共に歩んだその美学。そんな贅沢な話が「あたし」という一人称で軽快に語られる。
イカは掛け替えもない自分の目であり、自分の次に大事な身体の一部なのだ。彼はこう断言する。カルチャーは変遷してもカメラを持つ人の精神は変わらない。この本にはそういった普遍的な愛を感じる。もしこの世がデジタルだけのカメラ人生になったなら、それは砂を噛むような日々になるだろう。この一言で、なぜ今再びフィルムカメラが脚光を浴びているのかが判った気がした。

ちなみに私は未だにデジタルカメラの使い方を体得できていない。
手間は人を煩わせるものではなく、そこに秘められた、目に見えない大切な気持ちを汲み取るために必要なものではないのかと。それは映画の余白のように、必要不可欠なものではないかと思ったのだ。

今は亡き父の自動フィルム巻き上げカメラを触っていた、幼き日の自分を思い出す。それは子供の手にはあまりに大きく、黒くずしりとしていた。現像するまでどんなものが撮れるか分からない。あのときのカメラには、そういった食玩を開ける時のような、わくわくするような楽しみがあった。
今見えている世界を鮮やかに切り取る。私が写真を好きなのは、そういう可能性を秘めているからだ。

存在意義を指し示すだろう、今世紀最注目株の音楽。

僕の声は、消えた。


最近はAoを聴いている。

元、レゾンデートル(raison d'être)。

タイトルの意味は哲学用語のひとつ。フランス語で「存在理由」あるいは「存在意義」。

レルエが格好良すぎて息がつまりそうです。

さよならマジョリティ

さよならマジョリティ

夜はモーションから見事に持っていかれ、さよならマジョリティの驚異的な中毒性に溺れてしまいそうです。

あと好きなのは、yahyelとthe fin.。

音に風を感じる。濃厚。

こういうのを「グルーヴ感」
(音にノれる感覚)というのだろうな。

クラブミュージックの進化。音楽は生き物。そして、無数に産み出される彼らに命を与えるのは私たちだ。

Human [歌詞 ・ボーナスCD付 / 2CD /国内盤] 初回限定盤/先着特典ミニブック付 (BRC567LTD)

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There※通常盤

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LILI LIMITの新曲も良い。

LIB EP

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音は生き物で、聴き手の私たちが成長するように、呼吸をしながら少しずつ大きくなってゆくのだろう。


懺悔参りが好きすぎて辛いのです。

肉体を持たぬ、視点だけの存在。

存在が消える声というものがある。

ASIN:B00FX7V9EQ


アジカンの、特にバラード曲には肉体が存在しない。

彼の曲を聴いていると、性別を全く感じさせない。
気怠い声。それなのに質感はさらっとしている。

近すぎず、遠すぎない場所で歌われる。
もしくはSF小説の中の登場人物のようだ。

もしくは、ある一定の視点で連写された写真。

歌詞に耳を澄ませた瞬間、そこに「後藤正文」という人間は消えていて、
そこにはカメラのような視点と心理描写が残されている。

そこに肉体は存在しない。
あるのは描写だけであり、共感を無意識に誘う歌詞だけだ。
そして、それらは心に寄り添う。
私たちの積み重なった悲しみを癒すように。

1+1=1

きっと、1+1は2以上の何かを併せ持っているのだ。

たくさんの蝋燭の炎を見て、何を思い浮かべるだろう。

それは命の暗喩だろうか。

それとも、なにか呪術めいた黄泉がえりのことだろうか。

言語では理解できない事柄が、世界には存在する。

見たことも聞いたこともない、異国の地に体だけ放り込まれてしまったような疑似体験。

画面に映っていた男が、画面を見ている「こちら側」に気付いたかのように見つめる。

スクリーンの中でしか生きられない者たちがこちら側を見つめるという、観客と役者が反転したような感覚。

まるで村上春樹の小説に出てくる「顔のない男」のように。

白黒のスクリーンから映し出される風景は、カラーの風景よりも鮮明に焼きつく。

男の現実と、故郷の思い出が水で繋がる。

滴る水。溢れる水。体を横たえ、流れる滝や雨のイメージ。それらは不思議と嫌な気持ちがしてこない。

男の視線と私の視線がぶつかる。彼は確実に、画面の中で「生きている」。

チャップリンと映画の中で再会したらこのような気持ちになるのだろうか。

水は生者と死者を繋ぐ鍵のようなものだ。

革命を叫んだ男は火だるまになって転げまわる。

彼には水の守りを与えることができなかった。

ある種の宗教画のような、何かの新しい始まりの示唆を示すようで、哲学的な要素が満載だった。

一生に一回は見ておいて損はない映画だ。

軋轢から逃れる蜜蜂のように

ミツバチのささやき [DVD]

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子どものころは誰にだって思い浮かぶことがある。

例えば、おじいちゃんの家と、自分の家が押し入れで繋がっているような夢を見たこと。

学校帰りに道草を食っていたら、近所の草むらでバッタを見つけて、

捕まえてふと空を見たら明らかに人間より大きな真っ黒い鳥の影を見たこととか。

少し不思議であり、少し不気味で、かつて身近にあったはずの出来事たち。

そういったものは大人になるにつれ、忘れられていってしまう。

彼らに出会える映画がある。

大人になった今では、おとぎ話にも社会風刺や、残酷な面があるということを知っている。

そんな皮肉も含めて、少し不思議で残酷な精霊たちに会いに行こう。