思考は揺らめく道化師の羽

読んだ本と琴線に触れた音楽を綴る場所。かつて少年だった小鳥にサイネリアとネリネの花束を。

上半期聞いていたものを述べるだけの日記

その線は水平線

その線は水平線

ランキングとか、順位とか、もうそういうものを目ざとくチェックするのは嫌だ。

攻撃的で、目先のことしか考えていないものには疲れてしまった。

だからもう一度、原点に振り返った。

最初聞いたとき、何て優しいのだろう、と思った。

攻撃的で、快楽と暴力が合わさっている世界からは無縁の音楽。

あるいは、澄みきった海。

夏の日差しを浴びて、透明に光る。

優しく、包み込む、そんな世界。

私はそういった世界で生きていたいと思う。

欲望にまみれ、自分らしさも失って、誰かの受け売り、
どこかで見たことがあるようなものを
見続けるのは嫌だ。

この道を

この道を

  • 小田 和正
  • J-Pop
  • ¥250

個人的に聴いていたのが、これ。

明るさも、苦しみも、すべて受け入れて生きていきたい。

好きなものを好きと貫くことしか、私にはできない。

サボテンミュージアム

サボテンミュージアム

シュート・ラヴ

シュート・ラヴ

流行りは他の人に任せておけばいい。

私は私のルールで進みたい。

雨降る夜に聴きたい歌は

雨っぽい歌を集めてみました。

湯原昌明

雨のバラード

雨のバラード

雨のパレードを聞くたび思い出すのは私だけでよろしい。

yuragi meguru kimino nakano sore

yuragi meguru kimino nakano sore

  • 雨のパレード
  • J-Pop
  • ¥250

雨の日こそ、踊りたい。
そんな日はこれ、揺らぎ巡る君の中のそれ。


カフカ/雨

雨

デジタル配信だけなのが辛いけど、好きです。対となるマネキンもよき。


GOOD ON THE REEL

雨時々僕たちまち君

雨時々僕たちまち君

雨と言えばこの人たち(公認)。


サカナクション

Ame(B)

Ame(B)

雨とつく歌は二つあるけれど、私はシンシロに収録されているBの方が好きです。何で傘を差すと風が吹くのかは、謎です。

宇多田ヒカル

真夏の通り雨

真夏の通り雨

今が聞きごろです。雨と言えば。
柔らかい雨。慈雨というのかな、恵みの雨。

そんなわけで雨っぽい歌を集めてみました。ゆっくり聞いてみればいかが?

ある一日

人がやって来た。
私は吉田修一辻村深月の本を渡した。

また、次の日には別の人がやって来た。
私は石田衣良桐野夏生の本を渡した。

また、次の日来た人には西加奈子山田詠美を。

次の人には司馬遼太郎山本一力を。

次の日、私は違う人にラブクラフトを渡した。

次の日、私は別の人に夢野久作を渡した。

私は森博嗣森見登美彦を渡した。

最後に、私は宮本輝小川洋子を渡したのだった。

水の中で生まれる輪廻。

流跡 (新潮文庫)

流跡 (新潮文庫)

私たちは生まれた瞬間の記憶を知らない。
中には記憶を授かっている人もいるようだが、そういう人は稀だ。

男はどうやら物語の記憶を持ちながらこの世界を漂っているらしい。

主人公は水に飲まれながら川を船で渡り、ゆらゆら、くにゃくにゃと流れる。 下っていくうちに様々なものに出くわす。

粘っこいものや、さらさらとしたもの、ぷくぷくとした白い木の実。かと思えば黒光りするうなぎや、大量のキノコに囲まれ 、体を絡め取られたりする。


粘っこい白い雨の中で 大量の 巨大金魚が瘤のできた大きな頭をゆすりながら、えごえご踊る。
はれ、ひやらひやらという掛け声にあわせて。
それは突然降って沸いた祝祭のようだ。

生きるということ自体が 川のように流れて行くことかもしれない。
初めから終わりまで一貫せず、次々と輪廻に巻き込まれて行くことだと思うのだ。
運命にあらかじめ定められた道などないのだ。

私も川の流れのように 永遠にこの世界を巡っているような気持ちになった。

人生をライカと歩んだ男

LEICA,My Life (ライカ、マイライフ)

LEICA,My Life (ライカ、マイライフ)

人生をライカと共に歩んだその美学。そんな贅沢な話が「あたし」という一人称で軽快に語られる。
イカは掛け替えもない自分の目であり、自分の次に大事な身体の一部なのだ。彼はこう断言する。カルチャーは変遷してもカメラを持つ人の精神は変わらない。この本にはそういった普遍的な愛を感じる。もしこの世がデジタルだけのカメラ人生になったなら、それは砂を噛むような日々になるだろう。この一言で、なぜ今再びフィルムカメラが脚光を浴びているのかが判った気がした。

ちなみに私は未だにデジタルカメラの使い方を体得できていない。
手間は人を煩わせるものではなく、そこに秘められた、目に見えない大切な気持ちを汲み取るために必要なものではないのかと。それは映画の余白のように、必要不可欠なものではないかと思ったのだ。

今は亡き父の自動フィルム巻き上げカメラを触っていた、幼き日の自分を思い出す。それは子供の手にはあまりに大きく、黒くずしりとしていた。現像するまでどんなものが撮れるか分からない。あのときのカメラには、そういった食玩を開ける時のような、わくわくするような楽しみがあった。
今見えている世界を鮮やかに切り取る。私が写真を好きなのは、そういう可能性を秘めているからだ。

存在意義を指し示すだろう、今世紀最注目株の音楽。

僕の声は、消えた。


最近はAoを聴いている。

元、レゾンデートル(raison d'être)。

タイトルの意味は哲学用語のひとつ。フランス語で「存在理由」あるいは「存在意義」。

レルエが格好良すぎて息がつまりそうです。

さよならマジョリティ

さよならマジョリティ

夜はモーションから見事に持っていかれ、さよならマジョリティの驚異的な中毒性に溺れてしまいそうです。

あと好きなのは、yahyelとthe fin.。

音に風を感じる。濃厚。

こういうのを「グルーヴ感」
(音にノれる感覚)というのだろうな。

クラブミュージックの進化。音楽は生き物。そして、無数に産み出される彼らに命を与えるのは私たちだ。

Human [歌詞 ・ボーナスCD付 / 2CD /国内盤] 初回限定盤/先着特典ミニブック付 (BRC567LTD)

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There※通常盤

There※通常盤

LILI LIMITの新曲も良い。

LIB EP

LIB EP

音は生き物で、聴き手の私たちが成長するように、呼吸をしながら少しずつ大きくなってゆくのだろう。


懺悔参りが好きすぎて辛いのです。

肉体を持たぬ、視点だけの存在。

存在が消える声というものがある。

ASIN:B00FX7V9EQ


アジカンの、特にバラード曲には肉体が存在しない。

彼の曲を聴いていると、性別を全く感じさせない。
気怠い声。それなのに質感はさらっとしている。

近すぎず、遠すぎない場所で歌われる。
もしくはSF小説の中の登場人物のようだ。

もしくは、ある一定の視点で連写された写真。

歌詞に耳を澄ませた瞬間、そこに「後藤正文」という人間は消えていて、
そこにはカメラのような視点と心理描写が残されている。

そこに肉体は存在しない。
あるのは描写だけであり、共感を無意識に誘う歌詞だけだ。
そして、それらは心に寄り添う。
私たちの積み重なった悲しみを癒すように。