思考は揺らめく道化師の羽

読んだ本と琴線に触れた音楽を綴る場所。かつて少年だった小鳥にサイネリアとネリネの花束を。

村上春樹とスピッツに共通する、「絶妙な既視感」。

1Q84 BOOK 1

1Q84 BOOK 1

絶妙な既視感、という物がある。

それは「はじめて見た(聴いた)のに、生まれる前から知っていたような気がする」というものだ。

これを特に感じるのが、村上春樹スピッツだ。

特に1Q84

初めて読むのに、なぜか昔から知っていたような気がして(昔ながらの友人にばったり再会したような気がして)、長いのに読み進めてしまう。

そして必ず場面が印象に残り、かなり前に読んだはずなのになぜか忘れることがない。

長い長い青豆と天吾のボーイ・ミーツ・ガールの部分よりも、そこまでに行き着く事件の方が鮮明に記憶に残っている。

たとえば、「タイガーをあなたの車に」。

ふかえりの「空気さなぎ」と「リトル・ピープル」。

意味は分からない。大人になった今でも意味が判明しない。

読み返せば分かるのだろうが生憎手元に本がない。

なんとなく「再生するもの」と「不気味なもの」ということだけしかわからない。

(実際、ほかの作品で村上春樹は小人を不気味なものとして扱っている。
象工場で働く青年の身体に入って踊り、女が腐敗する幻覚を見せる嫌がらせを行う。
読み返してみれば、小人の一人称が「あたし」から「俺」に切り替わる部分があった。どうしてなんだろう。
一説では「小人の本性」が出たからだとか…。)

リトル・ピープルたちは言った。「ほうほう

他の村上作品とは逸脱した世界観を放っている。

というより、この本に関して、しっくり合うであろうジャンルを私は見つけ出すことができない。

スピッツの日なたの窓にあこがれて。

「メリーゴーラウンド」のリフレインが耳に心地よい。

寒い冬の昼の陽だまりの中で聴くと最高である。

ずっと前から聴いていたような気がする。

あの錯覚はいったい何なのだろう。

この現象にデジャブ以外の名前があれば教えてほしい。