存在が消える声というものがある。
アジカンの、特にバラード曲には肉体が存在しない。
彼の曲を聴いていると、性別を全く感じさせない。
気怠い声。それなのに質感はさらっとしている。
近すぎず、遠すぎない場所で歌われる。
もしくはSF小説の中の登場人物のようだ。
もしくは、ある一定の視点で連写された写真。
歌詞に耳を澄ませた瞬間、そこに「後藤正文」という人間は消えていて、
そこにはカメラのような視点と心理描写が残されている。
そこに肉体は存在しない。
あるのは描写だけであり、共感を無意識に誘う歌詞だけだ。
そして、それらは心に寄り添う。
私たちの積み重なった悲しみを癒すように。