思考は揺らめく道化師の羽

読んだ本と琴線に触れた音楽を綴る場所。かつて少年だった小鳥にサイネリアとネリネの花束を。

共感覚、RowanとAlmond

共感覚という言葉を聞いたことがあるだろうか。数字を見れば色が見えたり、言葉が見えたりするものだ。

私は音楽に味覚を感じる。触覚を感じることもある。針を触ると痛みを感じるように、刺々しい音は私の腹部を突き刺す。砂糖のように切ない歌だと、胸の奥がじんわりと甘くなる。普通のことだと思っていた。砂糖のように甘い曲だなんて、誰にでも通用する話だと信じて疑っていなかったのだ。あまり甘くなりすぎると苦いコーヒーを欲しがるものだから、控えた方が良いのかもしれない。


Rowanはアーモンド入りキャラメル。
白痴は硝子。もう大丈夫は芍薬の花。
花束と水槽は螺子と発条。


ハミザベスかお縫い子テルミーに、胸の奥の甘苦しい情慾に苦しむ女性が出てきた気がする。なめらかで熱くて甘苦しくても同じ意味なのか?「痛いや、いやでも甘いな、いやいや」も「ああ 答えは変に甘くて」も同じじゃないか。表現が違うだけだ。