思考は揺らめく道化師の羽

読んだ本と琴線に触れた音楽を綴る場所。かつて少年だった小鳥にサイネリアとネリネの花束を。

要約を制す者はすべてを制す。

私は要約というものが大の苦手である。

約二十年生きてきて、この「要約」という途方もない壁にぶち当たったことは数知れない。

「あなたの書く文章はさっぱり意味が解らない」と言われたことは数知れず。

つらつらと垂れ流しのように文章を書くことは容易い。

頭で思いついた言葉をつらつら書けばいいからだ。

その場合、頭は働いておらず、手だけが無心で動いている。

そうして出来上がった文章はとてもじゃないが読み切れないし、意味のつじつまが合わない。

あろうことかそんな「ひどい」文章を私は公開していたのである。

恐らく私の意図をくみ取ってくれた心優しき方は一握りだと思われる。

ここで活躍するのが「要約力」である。

具体的にどんな力かというと、「思っていることを一行で(数行で)まとめなさい」。

俗にいう「キャッチコピー」の作り方だ。

感じたこと、思いついたこと、何でもすぐに数行にまとめることを心がける。

これは学生のみならず、就職して、大人になっても役に立つ。

みんな学生のうちにこの技術を入手しておこう。

あとで必ず役に立つ。

私のようにならないためにも、覚えておいて損はない。

応用すれば一瞬で人の心を動かす文章が作れるかもしれない。

私と一緒に学びたい方は是非ついてきてほしい。

汽車に乗って旅をしたい。

ラックライフとWEAVERを借りて、バスを乗り継ぐ。

借りた小説を返すためだ。

揺られながら、最近は汽車に乗っていないことを思い出す。

久しぶりに汽車に乗りたいと思いつつ、なかなかそのタイミングがつかめないでいる。

切符売り場でボタンを押して、受付で駅員さんに切ってもらう。

切符に日付が入ったインクが付く。

電子改札もないから、手動で切符を集める。

昔からあったから、それが当たり前だと思っていた。

遊園地に行くときによく利用してたっけ。

そこで買えるコルク瓶付きのビーズが子供ながらに大好きだった。

といってもなかなか買えなかったけれど。

鍵の形のおもちゃのネックレス。(セボンスターみたいな)。

たしか祭りのときにねだって買って、錆びてしまって、捨てた。

なるべくごった返す夏場にはあまり行きたくないな、とか、ごみごみして風邪をひくのは嫌だな、とか、

ケーキ取りに行く日いつにしようとか、そういうたわいもないことをちみちみと考えている。

駅まで乗り継いで、書店兼CDショップを物色する。

で、何も買わずに帰る。

久しぶりに駄菓子を買いたいと思い、チロルチョコを買う。

潰れてしまったお気に入りの駄菓子屋さんを思い出す。

そこでたまに入荷されるシールが大好きだった。

おもちゃの指輪。アヒルの形のシャボン玉。

今はもうないのかな。

年末にでも汽車に乗り込んで、遠くへ旅したいな。

本当に細やかでいいから、ぶらりと一人でどこかへ。

その時はカメラも一緒に。

なんて、ね。

もし私がDJをするのならば今掛けるセトリ。

夕映/GOOD ON THE REEL

バウムクーヘン/フジファブリック

Sunrise (re-build)/ぼくのりりっくのぼうよみ

STAY/KEYTALK

Cold Sun/Aimer

M/サカナクション

Toneless Twilight/ストレイテナー

ディープブルー/秦基博

alongside/BIGMAMA

渚/スピッツ

イヤな事だらけの世の中で/サザンオールスターズ

空も飛べるはず。

子どもの頃、空「を」飛べるはずじゃないかと思っていた。

そんな訳はなかった。

ただの思い違いだったと理解するには、私はまだ幼すぎた。

もともと「めざめ」という名を授けられたこの曲は、まさしく生まれたての赤子の目覚めのようだ。

まるでこの歌に翼が生えていて、私の心を檻から連れ去ってくれるかのような。


美しいゴミできらめくこの世界を、憎みながら、愛しながら生きていくのだ。

私の心は翼をもって空を飛んでいる。決して比喩なんかではなく。

そんな「ここではないどこかへ心を解きはなってくれる音楽」。

だからこそ、こんなにもスピッツは愛されているのだろう。

殺伐な世界に歌の花を咲かせたい。

人はなぜ、音楽を作るのだろう。

この世に音楽が存在しなければ、私はとうにこの世にいなかった。

基本的に、世の中が殺伐としている時に音楽は良くなる。

音楽に限らず、人間が作り出すものが世界を変える、というのはいつでも人間が困窮している時だ。

今は本当に目を伏せたくなる話ばかりで、嫌になる。

でもそれで諦めてはならない。

私たちはいつだって力強い音楽を探している。

斉藤和義の「やさしくなりたい」や、イエモンのJAMが世界を変えたように。

これからは私たちが世界を作るのだ。

良い音楽や、胸に響いた音楽をこのネット社会で共有することによって。

みんなの好きな音楽たちが混ざり合って一つの世界になればいいのに。

そんな未来になれば私はうれしい。

これから先、どんどん新しい音楽が生まれて、それらが未来の音楽家をはぐくんでゆくだろう。

え?音楽は物好きにしか売れない?

確かにそうかもしれない。だがそれはあくまで「物体」として音源を買う人たちについての話だ。

買わなくても普通に音として音楽を欲する人は確実に存在する。

ただ、マーケットが変わっただけだ。

私は物体としての音源を愛しつつ、これから先入ってくるだろう(いや、もう入ってきてるか)ダウンロードを愛することとしよう。

私がここで紹介した音楽が誰かのためになれば少しうれしい。

その見えない誰かのために、私は書き続けるのだろう。

これから先も、ずっとずっと。

音楽が与える希望を信じている。

こんな時こそ音楽を楽しもうじゃないか、みんな。

今年、必ずこの一年を髣髴とさせる傑作の音楽が必ずできるから、それまで待とうじゃないか。

こんな今だからもっと音楽を聴いてみない?あなたの好きだった音楽、気になる音楽。

それらを今こそ、聴くべきなんだ。


孤独な戦いに終わりはない。

人は「心の闇」とか、「怪物」とか、「愛に飢えてる」とかいうけれど、

それは結局本人か、専門家しかわからないことであって、

人間、自分の内面をそのまま分かってもらえるなんてことは少ないんじゃないか。

「心の歪み」をそのまま出すと「病んでいる」と言われて、

本性を出さないままでいたら「あの人変な人」って言われて、

そのかわりに就職とかになると自己表現や個性を問われる、非常に面倒くさい状況で、

それでもなんとか耐えながら私たちは生きている。

意識的か無自覚かというのは別にしても。

心の孤独を解消するために、あえてふざける人もいるのかな、とか今更ながら思って。

退屈だから。

孤独だから。

淋しいから。

それらを埋め合わせるために、さまざまな表現が存在しているのではないかって。

そっとしておいてあげるというのも思いやりなのかな。

孤独な戦いに終わりはない。

私たちが自分自身を受け入れるその時が来るまで、果てはない。

「この世界にアイは、」

i(アイ)

i(アイ)


「この作品には悲しみも、
苦しみも、何もかもすべてひっくるめて愛せるだけの強靭さと優しさがある。」

今だからこそ書きたいと思ったのだ。

主人公はワイルド曽田アイ。

彼女はシリアと日本と、両方の国で育った。

ある教師の一言から、彼女の「迷う」人生が始まる。

自分のアイデンティティはどこにある?

それは、誰にでも存在する問いだと思う。

物珍しい場所で育ったのでなくても、誰だって自己の存在に悩むことはある。

そう、私だって、一番大切な時には守ってもらえなかった。

いつだって自分が歩き出すことでしか自分を知って貰う方法がなかったのだ。

その度に私は傷つき、少しずつ成長していったのだろう。

本人も分からないぐらい、小さなスピードで。

ただし、彼女の悩みは、普通の人が経験するよりもっと激しく、辛く、底が見えなかった。

「どうして私だけが幸せにならなければならないの?」

「もっと不幸な人はいるんじゃないの?」

彼女は深く深く落ち込み、読んでいるこちらが心配になるぐらい元気をなくす。

その、あまりにも極端すぎる描写のせいか、この作品には賛否両論がある。

そのためいつ、この記事を書こうか迷った。

でも、だからこそこの作品の「強さ」というものが現れているのではないかと。

直木賞を受賞した「サラバ!」に次ぐ、西加奈子の「本気」が垣間見える傑作。

混沌とした今だからこそ、出合いたい。

強くそう思わせる作品だ。