思考は揺らめく道化師の羽

読んだ本と琴線に触れた音楽を綴る場所。かつて少年だった小鳥にサイネリアとネリネの花束を。

霞と化した氷の人魚

ハルノ寂寞

ハルノ寂寞

  • 稲葉曇
  • J-Pop
  • ¥255
聲

YOU RAY

YOU RAY

SENTIMENTAL SUMMER

SENTIMENTAL SUMMER


去年からずっと悶々と考えている。
どうしてこの曲とこの曲が重なるのか。


ぼんやりと影が見える。
夜のように深い藍色の鱗を持ち、蒼い牡丹の花の簪を挿した、藍と紫が混じる光の無い瞳でこちらを見つめる、長い尾を持った人魚。

今すぐにでもあちらへ行きそうで、酷く危うい。

彼女はどうやら、落としてしまったみたいだ。
大切な星のようなものを。
切り離された半身はどこを漂っているのか。

あの海は紺青と青紫を混ぜた色をしている。
すべて泳ぎ切るには水は冷たく、
私一人で向かうには過酷すぎる。

そうこうしている間に、
「彼女」は深い海へと堕ちてゆく。
一刻一刻、底へと沈む。

脳内にイメージが刻まれる。

どうすればいいのだ。
一観客である私に、何が救えるというのか。

「怪我をしているよ、この娘」
「可哀想に、誰かに酷く傷付けられたんだ」
「誰が一体こんなことをしたのか」

また霧に包まれてしまった。
掴めないあの娘は、本当の姿を隠そうとする。
もう私は既に『解って』しまっているのに。
泡を吹いて倒れるまで、姿を明かさないつもりだ。

「ふたりには、もうひとつの名前があるんだよ。」

『彼女は本来の姿ではない』と誰かが言う。
じゃあ、今舞台の隅にいるあの子は誰?

ここは苦しくて耐えられない。
イメージがまた流れ込んでくる。

長い鰭を靡かせて、かんかんと凍った水晶と南京玉が漂う海の中を静かに泳ぐ。傍から海は泡立ち、規則的に影が揺らぐ。そこまでして見せたくない「何か」があるらしい。

本来の姿をひた隠す氷の人魚。
舞台の上で唄う対の白狼の人形。
毒を孕んだ甘い歌声は悲鳴のようで、
気を付けていないと脳まで侵されてしまう。
横でにやにやと嗤うのは、銀灰色の耳と尾を持つ狼に似た「何か」。
狡猾な眼差しで、堕ちるのを面白がっている。
姿は「人形」に瓜二つだ。

※※
それは知らなかった。
自分が人魚の台本の上で踊っているのを。
「何か」が自分の上位交換なことを。

ずっと、彼女は何かのふりをしていた。


人形の姿をコピーしたそれは、それまで以上に華やかにはしゃぐようになった。
偽物が本物に成り代わる。
「それ」は誰よりも美しく、狡猾だった。


「あの娘は罪を犯したから、きっと戻って来れないよ」
「対になるお人形に『踊らせて』いるんだ。張りぼての舞台を踏み台にして。」

「何故彼女は欠陥があるそれを組み立てた?私欲の為にか?誰かの物語を踏み躙った、穴だらけの台本を人形に渡した!許されぬ事だ!」

「今はまだ、霧の中に包まれたままでいい。」
「嫌でも知ることになる。事実に耐えなくてはならないんだ」

泡沫の隅

ラフマニノフ

ラフマニノフ

幸せ?

幸せ?

自分がいない間にRADWIMPSサカナクションとmol-74とスピッツフレデリックとodolとpollyの新譜の話が進行していた。情報が渋滞している。

我ながら、同時に五分後の世界とR帝国と道化むさぼる揚羽の夢のを読むとはどうかしている。全部ディストピア小説ではないか。

戦争が理解できない若者に村上龍を読ませれば万事解決すると思う。戦争映画を見せて感想文を書かせるよりずっと効果的なはずだ。まずは潜在意識に恐怖を刷り込ませることから始めるしかない。

辻仁成の海峡の光を読む。美しい筆致。
仮面を被って良い子を演じる花井がグロテスクだ。人の心の闇は言葉で推し量れるものではないと実感する。

坂東真砂子死国を読む。まだ10ページも読んでいないが既に名作の予感に満ちている。

落ち着いたらさよならドビュッシーシリーズを購入したい。それより松浦寿輝の作品を集めるのが先か。

岩井俊二の零の晩夏を読み終えた。正体不明の画家、ナユタを追っていたはずなのに、主人公の周囲がグロテスクな関係になってゆくのが巧妙だ。結末を知ると、これもまた一種の愛の形なのだと思う。

ナユタが遺そうとしたものは、自ら呪いへと変貌した芸術への愛だ。彼の絵画は祈りであり、常軌を逸脱したもので、死の香りと格闘した証だった。

原田マハのまぐだら屋のマリアがまだ読み途中だ。読み終えたら貸す予定になっているのに。

浅田次郎天国までの百マイルはやっぱり面白い。主人公はダメな中年男だが、母に対する愛情をちゃんと持っている。金に振り回されている点はマイナスポイントだが、どこか憎めない。冷酷な他の兄妹と違って応援したくなる。

※odolのpreとfulusuのChapter:Nearendが最高だった。D.A.N.のNo Moonに至っては誇張無しに神の手によって作られてるのではないかと錯覚したほどだ。あとは二月に出るpollyの新譜を買いたい。

Vaundyくんの踊り子がノスタルジックで面白い。いつぞやのサカナクションを彷彿とさせる。トリッキーだ。

堂村璃羽さんのPoetry(feat.uyuni)を聴いて泣いている。4月1日でも泣いた。どれだけ涙腺が緩いのか。

可不が唄うフォニイが好きだ。最近になって配信が解禁されてからずっと聴いている。花譜とのデュエットも公開された。

鋭利な発言と無慈悲な距離感

幸福な死を (feat. 初音ミク)

幸福な死を (feat. 初音ミク)

  • きくお
  • ポップ
  • ¥153

共感覚おばけ

共感覚おばけ

アポトーシス

アポトーシス

言葉との距離が近くなりすぎて、軋轢を引き起こしている。前は程よく距離を取って生きることが出来たのに、今はちょっとでも気を抜くと抗議文がやって来てしまう。

誰かに注意を払い続けるのが辛くて体調を崩してしまった。無自覚な言葉に勝手にペースを崩される自分に腹が立っている。だからリハビリ代わりに入力している。

Editorialは大衆に向けた非大衆の作品だと思う。本来なら密やかに聴かれるべきものだが、作り手が人気を得てしまったがために純粋に聴くことが難しくなった音楽であり、文学だ。絵画や小説が文学であると同様に、音楽も文学であるべきだ。予備知識はいらない。ただ感じ取るだけでいい。

私はOfficial髭男dismがサカナクションPeople In The Box、amazarashi、米津玄師に匹敵する文学的強度を獲得するとは思っていなかった。否定的な意味ではなく、予想外だった。

アポトーシスとLost In My Roomは後世に語り継ぐべきものだ。残酷なまでに生々しく創作の苦悩と死への甘美な倒錯が加わり、強度を備えた楽曲なのだから。

彼らは「生と死の狭間にいる」。

もう後には引き下がれない。
誰にも止められない。無論、私にも。

作品が勝手に動き出す。
近い未来、作者の意図を離れた場所で、
予想だにしなかった事件として現れるだろう。賽は投げられた。

Editorialは諸刃の剣だ。誰かを救済する薬にも殺める毒にもなりうる性質だ。

だからこそ、私はその危うさについて警告したい。否定ではない。純粋にどう転がるか分からないものを手にしてしまっているのだ。

※※※

大衆には多かれ少なかれ、非大衆も含まれている。それを人はマジョリティと呼ぶ。サカナクションアイデンティティやマイノリティをキャッチーなスローガンに変えてしまった。大小なり画期的な出来事だ。

彼らは動画配信でさえ、新たなプロジェクトとしてパッケージ化しようとしている。

いつか今よりずっと文学的な動画が開発されるかもしれない。近未来にありうる話だ。

マイノリティの中のマジョリティが、屈折した形で表現されるようになってしまった。誰かが修正して、真のマジョリティを解明してほしいと思う。朝井リョウの正欲みたいに。

上田岳弘のキューが好きだ。
絶望の中に潜む些細な幸福を、乾いた文体で説明してくれるから。すべてが一体化した未来の仮想空間を、現代に文章で再現してくれるからだ。

情報をファストフード化してはいけなかったのかもしれない。後に健康被害が起きることも知らず、ただ黙々と出された餌を食べ続ける機械を量産して、数々の罪を生み出してしまったのだから。

いつの間にか舞台装置は切り替わった。
今は新しい人間が踊り子になり、恍惚した瞳でステップを踏んでいる。

未来は探すものであって、見つめるものでも願うものでもない。

共感覚、RowanとAlmond

共感覚という言葉を聞いたことがあるだろうか。数字を見れば色が見えたり、言葉が見えたりするものだ。

私は音楽に味覚を感じる。触覚を感じることもある。針を触ると痛みを感じるように、刺々しい音は私の腹部を突き刺す。砂糖のように切ない歌だと、胸の奥がじんわりと甘くなる。普通のことだと思っていた。砂糖のように甘い曲だなんて、誰にでも通用する話だと信じて疑っていなかったのだ。あまり甘くなりすぎると苦いコーヒーを欲しがるものだから、控えた方が良いのかもしれない。


Rowanはアーモンド入りキャラメル。
白痴は硝子。もう大丈夫は芍薬の花。
花束と水槽は螺子と発条。


ハミザベスかお縫い子テルミーに、胸の奥の甘苦しい情慾に苦しむ女性が出てきた気がする。なめらかで熱くて甘苦しくても同じ意味なのか?「痛いや、いやでも甘いな、いやいや」も「ああ 答えは変に甘くて」も同じじゃないか。表現が違うだけだ。

時空を飛び越えて、春。

春よ、来い

春よ、来い

Winter Lovers

Winter Lovers


HELLO

HELLO

愛の世代の前に

愛の世代の前に

  • 浜田 省吾
  • ロック
  • ¥255

風邪をひきました。
くしゃみが止まりません。
熱はありません。

平成と昭和のあたりを行ったり来たりしています。程よく古くなった懐メロが好きです。レベッカのフレンズと渡辺美里My Revolutionを聴きまくっていました。

周りと価値観がずれているのか、
居心地が悪いです。
新刊も新曲も大して知りません。
なので、文章を書くことにします。

昔聴いていたロンリー・ウーマン、今は笑えません。竹内まりやさんの普遍性は、国宝に指定してもおかしくないと思います。キムタクさえも霞むような男というフレーズが、未だに通用することに驚きを隠せません。Winter Loversが好きです。bonapethiに収録されている曲はだいたい好きですが、4曲目だけは大人になった今でも無理です。

親から松任谷由実(荒井由実時代)の埠頭を渡る風を叩き込まれました。ユーミンはリフレインが叫んでると春よ、来いが好きです。ドがつく王道ですね。藤谷美和子の愛が生まれた日を同時にCDに焼いて聴いていたので、昭和の曲だと勘違いしていたのは内緒です。ついでにWinkの愛が止まらないも教えこまれました。

浜省はMoneyより、愛の世代の前に、ラストショーと詩人の鐘が好きです。中森明菜さんは禁区とLa Bohèmeが好きです。

今は久保田利伸さんのMissingを聴いています。

青い太陽から羽化した蛹

ボイル

ボイル

鏡写し

鏡写し

  • 大橋ちっぽけ
  • J-Pop
  • ¥255

桜色の街へ

桜色の街へ

サカナクションが色モノ扱いされる一番の原因は、シーラカンスと僕や、
ボイルの美しさを知らないからだと私は思うのです。2014年のLIVEDVDがおすすめです。杉山清貴のパロディを行ったりするなどお茶目な一面もありますが、基本一郎さんは真面目です。

セカオワのFoodとRe:set、間違っても歌詞を検索してはいけません。
軽く一週間は寝込みます。
SOSとMissingを聴きましょう。念のためにダメ押ししておきますが、久保田利伸ではありません。

MARETUさんの曲と、plentyの合間に聴いた私が馬鹿でした。

大橋ちっぽけさんの鏡写しが良い曲です。私より年下なんだってね彼。
oh......ジェネレーションギャップが…
こんな恋愛をしてみたかったですね。
深海に沈むようで苦しいけれど。

巨匠の桜色の街へも名曲です。
小野リーダーのDrop2、Nayutaよりは劣りますが、好きです。荒ぶるギター。

後はamazarashiのとどめを刺して、
ドロスのphilosophyですかね。

女性が手当たり次第に紙に書き殴るPVを観ました。トイレの水とともに流れてゆく、悲鳴のような言葉たち。過激な演出です。

いつぞや見たsuzumokuの、
真面目な人みたいだな…

ドロスの18祭はリアルタイムで見ていたけど、良いですね。
あますてがコレジャナイ感満載だったから、正気に戻って嬉しい限り。お風呂でサービスショット…

どうでもいいですけど、雨パレのAhead Aheadって歌い方あざといですよね。bamと同レベルか、それ以上。

テナーの新曲が良い感じです。Graffiti。
BUMPが好きな方はハマるのではないのでしょうか。

舞台装置の中の白い小鳥は、無限複製されて闇を飛び立つ。

ミネルヴァ

ミネルヴァ


白いしるし (新潮文庫)

白いしるし (新潮文庫)

西加奈子さんの白いしるしを読み終わりました。再読です。
キネマの神様と一緒に、うつくしい人を購入したいと思っているのですが、
某ウィルスのせいで、書店に行くのが怖いです。
林民夫氏の糸の文庫と村山早紀先生の新刊を買うつもりです。
翼をください(上下巻)、高くて買えそうにない墓頭も欲しいです。
ザリガニの鳴くところも、買いに行けたらいいですね。
あと線僕とアーモンドも。

本屋大賞、決まりましたね。
候補作は未読なので、機会を見計らって読みます。

※ピープルのミネルヴァ、聖性と倒錯が含まれているように見えて仕方ありません。
谷崎潤一郎小川洋子氏の小説を一緒に読んでいるようです。
薬指の標本痴人の愛かな?


Tabula Rasaは「絶望」を切り取ったアルバムだと波多野さんが言っていました。

People In The Box『Tabula Rasa』というアルバムには、「いきている」という曲が収録されています。お聴きいただければわかるかもしれませんが、いくつかの視点が共存しているあの作品のなかでも、少し異質な立ち位置にある歌詞の曲です。

僕は『Tabula Rasa』という作品でこの社会への絶望を描こうとおもっていました。そしてそのためには非対称性のなかで消えていく声をすくいあげるために、また個別的な苦しみと後期資本主義社会の引き起こす病理をひとつに繋げる回路を作るために「いきている」という曲が必要でした。そこで描かれる個別的な苦しみというのは間違いなく僕自身の実感でもあります。

あのアルバムに「虚無の舞台装置」というタイトルを付けた私は、あながち間違っていなかったのですね。

「装置」と「風景を一瞬で変える方法」「忘れる音楽」には取り憑かれるような怖さがあります。
装置の出だしは、心臓に悪いです。全体的に漂っているのは、鬱屈した美、退廃的な美です。

例:「僕を抱き締め、潰して再度」
「肉体を溶かしてしまうまで」

絶望しているのに真っ白で、どことなく陶器や、石膏の白さを思い起こさせます。これらの音楽に込められた美の結晶が、トラックNo.5に収録されたミネルヴァです。

「いきている」は、前作の最後に収録されていた「ぼくは正気」に通じているのではないのでしょうか。私の憶測ですが。

退廃的な美というテーマで言えば、RADWIMPSの「愛にできることはまだあるかい」ALEXANDROSのPray、サカナクションユリイカも拮抗する楽曲であるような気がします。