思考は揺らめく道化師の羽

読んだ本と琴線に触れた音楽を綴る場所。かつて少年だった小鳥にサイネリアとネリネの花束を。

追いかけた、夏。

夏疾風(通常盤)

夏疾風(通常盤)

ドリームキャッチャー

ドリームキャッチャー

平成最後の夏は、暑かった。

いや、熱かった。

100回記念の甲子園のどんでん返しに、目が釘付けになって、

気が付いたら夏も終わりかけになって、

体はこんがりと焼けて、今に至る。

テレンの新曲(の、カップリング)が気になって追いかけて、

トビウオというバンドが解散寸前になって名曲を出していて、切なくなって。

アイデア

アイデア


星野源のアイデアが良い曲で、半分、青いと重なって元気をくれて。

山積みになった小説は未だ積読状態で。

忙しいけれど、あながち悪くないな。

そんな夏です。


今週のお題「#平成最後の夏」

A MASKED BALL

自分でも半ば忘れかけていたが、私は乙一馬鹿である。

学生時代に乙一しか読まなかった時代があるぐらい、彼の熱烈なファンである。

最初に手に取ったZOOの「陽だまりの詩」が好きで、そこからむさぼるように読んでいった。

語り過ぎたらネタバレのオンパレードになるので、内容には触れないようにしておく。

おすすめは小生日記。ブログを本にしたものである。

どこかで見たことがある文体と話だな、と思ったら川上弘美の椰子・椰子だった。

どちらも半分嘘と現実が入り混じった奇怪で魅力的な本である。

あれが好きな人はド・ストライクするかもしれない。

山白朝子・永田栄一と深い関係がある作家でもある。

気になったら是非。

上半期聞いていたものを述べるだけの日記

その線は水平線

その線は水平線

ランキングとか、順位とか、もうそういうものを目ざとくチェックするのは嫌だ。

攻撃的で、目先のことしか考えていないものには疲れてしまった。

だからもう一度、原点に振り返った。

最初聞いたとき、何て優しいのだろう、と思った。

攻撃的で、快楽と暴力が合わさっている世界からは無縁の音楽。

あるいは、澄みきった海。

夏の日差しを浴びて、透明に光る。

優しく、包み込む、そんな世界。

私はそういった世界で生きていたいと思う。

欲望にまみれ、自分らしさも失って、誰かの受け売り、
どこかで見たことがあるようなものを
見続けるのは嫌だ。

この道を

この道を

  • 小田 和正
  • J-Pop
  • ¥250

個人的に聴いていたのが、これ。

明るさも、苦しみも、すべて受け入れて生きていきたい。

好きなものを好きと貫くことしか、私にはできない。

サボテンミュージアム

サボテンミュージアム

シュート・ラヴ

シュート・ラヴ

流行りは他の人に任せておけばいい。

私は私のルールで進みたい。

雨降る夜に聴きたい歌は

雨っぽい歌を集めてみました。

湯原昌明

雨のバラード

雨のバラード

雨のパレードを聞くたび思い出すのは私だけでよろしい。

yuragi meguru kimino nakano sore

yuragi meguru kimino nakano sore

  • 雨のパレード
  • J-Pop
  • ¥250

雨の日こそ、踊りたい。
そんな日はこれ、揺らぎ巡る君の中のそれ。


カフカ/雨

雨

デジタル配信だけなのが辛いけど、好きです。対となるマネキンもよき。


GOOD ON THE REEL

雨時々僕たちまち君

雨時々僕たちまち君

雨と言えばこの人たち(公認)。


サカナクション

Ame(B)

Ame(B)

雨とつく歌は二つあるけれど、私はシンシロに収録されているBの方が好きです。何で傘を差すと風が吹くのかは、謎です。

宇多田ヒカル

真夏の通り雨

真夏の通り雨

今が聞きごろです。雨と言えば。
柔らかい雨。慈雨というのかな、恵みの雨。

そんなわけで雨っぽい歌を集めてみました。ゆっくり聞いてみればいかが?

ある一日

人がやって来た。
私は吉田修一辻村深月の本を渡した。

また、次の日には別の人がやって来た。
私は石田衣良桐野夏生の本を渡した。

また、次の日来た人には西加奈子山田詠美を。

次の人には司馬遼太郎山本一力を。

次の日、私は違う人にラブクラフトを渡した。

次の日、私は別の人に夢野久作を渡した。

私は森博嗣森見登美彦を渡した。

最後に、私は宮本輝小川洋子を渡したのだった。

水の中で生まれる輪廻。

流跡 (新潮文庫)

流跡 (新潮文庫)

私たちは生まれた瞬間の記憶を知らない。
中には記憶を授かっている人もいるようだが、そういう人は稀だ。

男はどうやら物語の記憶を持ちながらこの世界を漂っているらしい。

主人公は水に飲まれながら川を船で渡り、ゆらゆら、くにゃくにゃと流れる。 下っていくうちに様々なものに出くわす。

粘っこいものや、さらさらとしたもの、ぷくぷくとした白い木の実。かと思えば黒光りするうなぎや、大量のキノコに囲まれ 、体を絡め取られたりする。


粘っこい白い雨の中で 大量の 巨大金魚が瘤のできた大きな頭をゆすりながら、えごえご踊る。
はれ、ひやらひやらという掛け声にあわせて。
それは突然降って沸いた祝祭のようだ。

生きるということ自体が 川のように流れて行くことかもしれない。
初めから終わりまで一貫せず、次々と輪廻に巻き込まれて行くことだと思うのだ。
運命にあらかじめ定められた道などないのだ。

私も川の流れのように 永遠にこの世界を巡っているような気持ちになった。

人生をライカと歩んだ男

LEICA,My Life (ライカ、マイライフ)

LEICA,My Life (ライカ、マイライフ)

人生をライカと共に歩んだその美学。そんな贅沢な話が「あたし」という一人称で軽快に語られる。
イカは掛け替えもない自分の目であり、自分の次に大事な身体の一部なのだ。彼はこう断言する。カルチャーは変遷してもカメラを持つ人の精神は変わらない。この本にはそういった普遍的な愛を感じる。もしこの世がデジタルだけのカメラ人生になったなら、それは砂を噛むような日々になるだろう。この一言で、なぜ今再びフィルムカメラが脚光を浴びているのかが判った気がした。

ちなみに私は未だにデジタルカメラの使い方を体得できていない。
手間は人を煩わせるものではなく、そこに秘められた、目に見えない大切な気持ちを汲み取るために必要なものではないのかと。それは映画の余白のように、必要不可欠なものではないかと思ったのだ。

今は亡き父の自動フィルム巻き上げカメラを触っていた、幼き日の自分を思い出す。それは子供の手にはあまりに大きく、黒くずしりとしていた。現像するまでどんなものが撮れるか分からない。あのときのカメラには、そういった食玩を開ける時のような、わくわくするような楽しみがあった。
今見えている世界を鮮やかに切り取る。私が写真を好きなのは、そういう可能性を秘めているからだ。